CONTENTS
 桂小五郎資料館
 桂小五郎検定
 幕末資料館
 幕末系ゲーム
 松菊紀行





天保-弘化(1829-1848)
元  号 西暦 年齢 年  譜 日本の動き
天保四年 1833

0歳

6月26日 萩の医師、和田昌景の長男として産まれる。(後妻) 天保年間は、飢饉などにみまわれ、江戸や大坂など各地でうちこわしなどが続発。1837年には大塩平八郎の乱がおこる。

天保十一年

1840

8歳

桂九郎兵衛の養子に。九郎兵衛の死後、九十石を与えられる。
天保十二年 1841

9歳

九郎兵衛の妻が病死。再び和田家に。
天保十三年 1842

10歳

藩士岡本権九郎が城下の江向で開いた向南塾で学ぶ。

弘化三年

1846

14歳

萩の藩校、明倫館に入学。

弘化五年

1848

16歳

母清子が死亡。その三ヶ月後、腹違いの姉八重子も死亡。




嘉永(1848-1854)
元  号 西暦 年齢  年  譜 日本の動き
嘉永二年 1849

17歳

吉田松陰(20歳)と出会い、兵学を学ぶ。 嘉永五年(1853年6月3日)浦賀にペリー、黒船四隻で来航。
嘉永七年(1833年3月)再びペリー来航。日米和親条約を締結。
嘉永四年 1851

19歳

実父・昌景72歳で死去。

嘉永五年

1852

20歳

江戸の剣客斉藤新太郎・萩に来訪。九月末、新太郎に従って江戸へ旅立つ。
十一月末、江戸九段下の斉藤弥九郎(新太郎の父)の道場に着。
嘉永六年 1853

21歳

神道無念流の免許皆伝。8月江川左衛門について台場築造工場を見学。(約一月間)

幕府より長州藩・相川警備(三浦の湾岸警備)を命じられ、小五郎、相川警備の健策を上書。(後に長州藩の軍艦建造に関わる端緒)

嘉永七年

1854

22歳

兄の和田文譲病死




安政(1854-1860)
元  号 西暦 年齢 年  譜 日本の動き
安政元年 1854

22歳

江戸を立ち、相川警備の一員として三浦半島へ。 安政元年 ペリーが軍艦七隻で再来航。国内は異国の脅威に激動し、開国派と攘夷派に分かれる発端に。

1855年 安政の大地震。藤田東湖らが犠牲に。

1857年 下田条約。

1858年 日米通商条約調印。安政の大獄。吉田松陰らが刑死。

1860年 桜田門外の変。安政の大獄を推し進めた井伊直弼が、桜田門外で暗殺される。
安政二年 1855

23歳

萩へ帰郷(四月)。翌月大坂を経て相模の陣地に帰り、長州の船大工・藤井勝之進に会う。勝之進ともに浦賀に。
関東大地震で江戸・桜田の藩邸崩壊。(10月) 
小番頭の尾崎小右衛門とともに軍艦建造の実現を命じられる。(11月)
安政三年 1856

24歳

妹のハル・来原良蔵と結婚。
安政五年 1858

26歳

大検使として江戸藩邸詰めを命じられる。村田蔵六を久坂玄瑞とともに訪ねる。(6月)
撃剣大集会が鍛冶橋の土州屋敷にて開かれる。小五郎の他、坂本龍馬等も参加。(8月?)
士学館で撃剣集会。坂本龍馬と対戦か?(一説によると、対戦はなかったとも…)
安政六年 1859

27歳

10月13日 江戸藩邸の有備館用掛に。



万延(1860-1861)
元  号 西暦
年齢
年  譜 日本の動き
万延元年 1860

28歳

小五郎、村田蔵六を長州藩の仕官に推挙。(四月)
長州藩の軍艦庚申丸が品川沖に到着。小五郎、艦長の松島剛蔵に会う。(六月末)三日後、剛蔵の紹介で水戸藩士西丸帯刀に会う。
水戸藩西丸、越惣太郎、岩間金平、園部源吉と小五郎、庚申丸で密談。「成破盟約」(水長密約)
和宮降嫁勅許



文久-元治(1860-1865)
元  号 西暦 年齢 年  譜 日本の動き
文久元年 1860

29歳

高杉晋作、長井雅楽暗殺を計画。小五郎と周布政之介、晋作を上海行きのメンバーに推薦し、暗殺を阻止。
小五郎、来原良蔵の後を継いで、江戸藩邸の有備館舎長の職にあたる。
1862年 和宮降嫁。寺田屋事件。(有馬新七ら、同郷の志に暗殺)生麦事件。イギリス公使館焼き討ち事件。

1863年 長州藩、砲撃事件。薩英戦争。堺町門の変(八・一八の政変)。

1864年 天狗党の変。池田屋騒動。禁門の政変。四国連合艦隊による下関砲撃事件。
文久二年 1861

30歳

小五郎、学習院用掛を命じられる。(七月) 
同14日、小五郎右筆に。同日晋作、上海より帰国。
小五郎、薩摩・長州間の提携を試みるが、薩摩は会津藩と結び、幕府側に立つ。
文久三年 1862

31歳

3月29日 勝海舟と会う。 
8月18日 堺町門の変。小五郎京都に残る。
10月3日  直目付に任ぜられる。
元治元年 1863

32歳

4月18日 京都留守居役に。6月5日池田屋騒動。吉田稔麿ら死亡。小五郎、いったん池田屋に行くも、辛うじて逃れる。
7月18日、禁門の政変(蛤門の変)。久坂玄瑞ら死亡。
7月23日 小五郎、吉田屋の抜け道から新撰組の追撃を逃れる。その後但馬に。



慶応(1865-18668)
元  号
西暦
年齢
年  譜 日本の動き
慶応元年 1865

33歳

 
4月26日 幾松とともに下関に。 4月30日 中岡慎太郎と会う。
5月5日 坂本龍馬に会い、下関で西郷隆盛を待つも、西郷約束を放棄して京へ。
9月29日 木戸貫治と改名。
1865年 第二次長州征伐。孝明天皇没。

1866年 薩長同盟。

1867年 坂本龍馬・中岡慎太郎、近江屋で暗殺。朝廷、王政復古宣言。
慶応2年  1866 

34歳 

1月8日 京都薩摩藩邸にて再び西郷を待つ。 
1月22日西郷・小松帯刀らと、薩長同盟の協定。 
9月27日木戸準一郎と改名 
慶応3年  1867 

35歳 

長州藩の政策に奔走。
9月19日 大久保一蔵らと薩長出兵について、6ヶ条の協定。
10月22日 西郷・帯刀らと、薩長出兵についての協議。
11月16日 薩摩藩主と協議。
12月18日 朝廷の勅命により、京都に赴く。 



明治(1868~)
元  号
西暦
年齢
年  譜 日本の動き
明治元年 1868

36歳

1月25日 総裁局顧問となる。
2月1日 外国事務掛を兼任。
6月4日 参与に任命される。
1868年 鳥羽・伏見の戦い 江戸無血開城 。五ヶ条の御誓文。明治と改号。(9月8日)

1869年 横井小南暗殺。 薩長ら、版籍奉還を上奏。

1871年 廃藩置県の詔書。

1872年 太陽暦を採用。

1874年 民選議院設立建白書。

1876年 萩の乱。

1877年 西南戦争始まる。西郷自決。



明治2年 1869

37歳

6月14日 版籍奉還について意見する 。
9月26日 永世禄千百石を賜る。
12月2日 支那朝鮮に施設派遣が決定し、小五郎その役を任命される。
明治3年 1870

38歳

6月2日 参議を任命されるが辞退。
6月10日 やむなく参議に。
明治4年 1871

39歳

1月6日 大久保利通・西郷隆盛を訪問。
6月25日 西郷隆盛とともに参議になる。 
9月21日 全権副使任命の内定。
11月21日 渡米。
明治6年 1873

41歳

3月19日 帰国の要請。 
7月23日 帰国。東京に。帰国後、憲法制定の意見書を提出。
8月19日 内治優先の意見書提出。
10月24日 辞表提出するも、却下される。 
11月17日 大蔵卿兼任を辞退。
12月27日入閣を決意。
明治7年 1874

42歳

1月25日 文部卿兼任。
4月18日 辞表提出。
5月13日 参議兼文部卿をやめて宮内省に。 
5月27日 萩に帰郷。
明治8年 1875

43歳

2月22日 神戸を出発し、東京に。
3月8日 参議に任命。 
9月29日 朝鮮交渉の任に当たることを決意。
11月13日 病に倒れる。
明治9年 1876

44歳

3月28日 参議をやめ、内閣顧問に。
8月3日 宮内省出任命を拝命。
明治10年 1877

45歳

1月29日 病気再発。
5月19日 天皇の見舞いを受ける。
5月26日 病死。享年45歳 

■上に戻る