■草薙隊  ■戻る■
結成年時 慶応四年一月、鳥羽・伏見の戦争直後、尾張藩で組織された農兵隊。目的はあくまで 討幕戦力の補充にあり、尾張藩家老・田宮如雲が奔走、結成後ただちに京都警備のため上京した。
隊の構成および趣旨 同隊は東春日井郡の大庄屋・林金兵衛のほか62名からなる農兵隊で、洋式銃隊に編成され 、京都では市中総取締の手に属した。隊員は平田系の国学徒が多く、士気旺盛であった。
藩の征討軍が編成され、田宮如雲が甲信方面の総督に任命されるや、草薙隊はこれと行を共にし、常野方面の 戦闘のあと、太田の警備に当たった。この時期、隊は新たに編成替えを行って、大砲方まで含む241人の 部隊となり、北越・東北方面に転戦している
隊士名 隊長 林金兵衛・以下 牧新次郎・佐久間禅阮・中島吉三郎・佐光次郎・佐藤九郎三郎・ 本田又蔵・三宅清三郎・三尾文十郎・岩田鎌三郎・伊藤又十郎・野崎弥七郎・後藤来吉・藤島平四郎・ 水野礼助・奥村忠蔵・加納勇・藤井鉦三郎。松田松助・山内勝三郎・津金甲太・中村留之助 ほか。
解散当時 明治二年十一月、郷里に凱旋し、全員が帰農した。尾州藩には同隊のほかに「愛知」 「精鋭」「集義」などの諸隊がある。